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俳優・歌手の山崎育三郎さんが、2026年8月放送の「24時間テレビ49」にチャリティーパートナーとして出演します。
番組の予告や会見で「10代のときに在宅介護を経験していた」と語られ、「いつ?」「誰を?」「なぜ1人で?」と気になった方も多いのではないでしょうか。
山崎育三郎さんは高校時代の17歳から約2年間、たった1人で祖父母を在宅介護していました。
その背景には、母親の介護疲れの限界、両親の離婚、そして家族5人がバラバラに離散した事情がありました。
普段テレビでみかける山崎育三郎さんのイメージは、華やかな経歴で裕福に大切に育てられ不自由ない生活を送ってきたのかな、と想像してしまいそうなオーラで、まさか、多感期である高校時代にヤアングケアラーとして1人で介護をしながら学校に通っていたなんて、想像しただけで涙が出そうです・・・。
この記事では、山崎育三郎さんの壮絶な介護経験の全容を、信頼できるニュース記事やご本人の発言をもとに時系列でまとめています。

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山崎育三郎が介護を始めたのはいつ?17歳〜19歳の約2年間
1986年1月生まれの山崎さんは、高校2年生からアメリカ・ミズーリ州に1年間留学していました。
帰国した17歳のタイミングで介護生活がスタートし、19歳でミュージカル「レ・ミゼラブル」のオーディションに合格するまで続いたと語っています。
毎日新聞(2021年3月)のインタビューでも「僕が1人で祖父母を介護する生活が始まったのは、高校生の頃です。高校2年から米国に1年間留学し、日本へ帰国したタイミングでした」と本人が振り返っています。
以下に、当時の流れを年表にまとめました。
| 時期 | 年齢 | できごと |
|---|---|---|
| 高校2年 | 16〜17歳 | アメリカ・ミズーリ州に1年間留学 |
| 留学中 | — | 両親が離婚、家族がバラバラに |
| 帰国後 | 17歳 | 東京の自宅で祖父母との3人暮らし・介護スタート |
| 約2年間 | 17〜19歳 | 学校と介護を両立する日々 |
| 2007年頃 | 19歳 | 「レ・ミゼラブル」オーディション合格、介護生活に区切り |
まだ10代の高校生が、約2年間も祖父母を1人で在宅介護していた——その背景には、壮絶な家庭の事情がありました。
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なぜ17歳の山崎育三郎が一人で介護することになったのか
「なぜ両親は介護しなかったの?」と疑問に思う方も多いと思います。
ここ一番疑問に思うとこではないでしょうか。
両親が健在にも関わらず4人兄弟のうち、一人だけが介護をする状況・・・
結論から言うと、山崎さんが1人で介護を担うことになったのは、母親の介護疲れによる限界、留学中の両親の離婚、そして家族全員がバラバラに離散したことが重なった結果でした。
母親が十数年間たった一人で義両親を在宅介護していた
そのため、父方の祖父母の介護は母親がたった一人で十数年間にわたって担っていました。
お姑さんとお姑さんの介護ですね。
しかも介護だけでなく、仕事と4人の子どもの子育ても同時にこなしていたといいます。
祖父は認知症の症状が進み、山崎さんの表現を借りると「キングコングのように暴れまわったり、物を壊したりする」こともありました。
母親は精神的にも肉体的にもかなり追い込まれ、アメリカに留学していた山崎さんに国際電話で「私、もうだめかもしれない…」と漏らしたこともあったそうです。
山崎さんは毎日新聞のインタビューで、母親のその日々を「戦争のようだった」と表現しています。
「嫁が義両親を介護する」という構造は当時の日本では珍しくなかったとはいえ、その負担が一人の女性に集中していた現実は想像を絶するものだったのではないでしょうか。
私は現在 介護福祉士として勤務しておりますが、
勤務時間という限られた時間の中ですら、
脳梗塞後の片麻痺の利用者様の対応や、認知症の方も症状が進んだ方の対応は、常に頭がフル回転の状態です。
これが24時間だとおもうと、想像をはるかに超える心身状態になりますね。
■豆知識■
現在 介護保険では、介護する家族の休息(レスパイト)を目的とした要介護者の短期入所(ショートステイ:お泊りのこと)というサービスもあります
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留学中の両親の離婚と家族5人の離散
山崎さんがアメリカに留学している間に、両親は離婚しました。
そして帰国してみると、家族全員がバラバラの場所で暮らしている状況になっていたのです。
当時の家族の状況を整理すると、以下のようになります。
| 家族 | 当時の居場所 |
|---|---|
| 母親 | 故郷の岡山県へ |
| 父親 | 仕事で北海道に転勤 |
| 長兄(4歳上) | アメリカの大学に留学中 |
| 次兄(2歳上) | ニュージーランドに留学中 |
| 弟(2歳下) | 甲子園を目指し香川県の尽誠学園で寮生活 |
| 山崎育三郎 | 東京の自宅(祖父母と3人暮らし) |
こうして見ると、東京の家にいたのは山崎さんだけだったんですよね。
「母に比べれば僕一人でも大変じゃない」──17歳の決断
毎日新聞のインタビューでは、「母の戦争のような日々を子供の頃からずっと見ていたし、親元を離れてアメリカで過ごす中で自信と自立心が生まれていた」と語っています。
そして「子育てしながら介護もしていた母親に比べれば、数年間なら自分一人でも大変じゃない」と思い、自ら祖父母の介護を決断したのだそうです。
17歳でこの言葉が出てくること自体、驚きですよね。本当に目頭が熱くなります。
アメリカでの留学経験で精神的に成長していたことに加え、何よりも限界まで追い込まれていた母親の姿を子どもの頃からずっと見てきたからこその決断だったのだと思います。
「なぜ両親は介護しなかったのか」という疑問に対しては、母親は十数年間の壮絶な介護の末に心身ともに限界を迎え、父親は転勤で北海道にいて物理的に難しかったという事情があったわけです。
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山崎育三郎が介護した祖父母の状態
山崎さんが介護した祖父母は、お二人とも脳梗塞の影響で深刻な状態だったと語られています。
祖母──脳梗塞で右半身不随、車いす生活

祖母は脳梗塞によって右半身が不随となり、車いすでの生活を送っていました。
日常動作にもサポートが必要な状態だったそうです。
TBS「人生最高レストラン」(2024年6月放送)に出演した際にも、山崎さんは「おばあちゃんは右半身不随で車いすの生活だった」と明かしています。
祖父──認知症で言葉が出ず、暴れることも

祖父は認知症の症状があり、うまく言葉が出ない状態でした。
さらに感情のコントロールが難しくなり、暴れたり物を壊したりすることもあったといいます。
山崎さんの母親が介護していた時期には「キングコングのように暴れまわる」状態だったと語られており、認知症の周辺症状がかなり重かったことがうかがえます。
私は介護職に就いておりますが、認知症の行動・心理症状(BPSD)として暴力や暴言が見られるケースは珍しくありません。
山崎さんの祖父も、病気の影響でそうした症状が出ていたと考えられます。
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「人生で一番しんどかった」壮絶な介護生活の実態
山崎さんはこの介護生活について、
とテレビ番組で語っています。
食事を作っても手で払われ、感謝もなくなった日々

毎日の生活は、
朝起きてご飯を作り
祖父母に食べさせ
トイレに連れて行き
自分が高校に行くタイミングでヘルパーさんにバトンタッチ
学校から戻るとヘルパーさんと交代し、
また一緒にご飯を食べて
お風呂に入れて
着替えさせて
寝かせる
──この繰り返しだったそうです。
しかも、この一つ一つの介助が全てスムーズに行えるわけではないんですよね。介護では、一つ一つの行動に物理的時間と、精神的な拒否があると更に時間と対応に迫られます。
愛情があっても継続していると心が折れそうになることが伺えます。 高校生でこれをしていたとは本当に(涙)
山崎さんはスポニチ(2024年6月)の取材で、
「ずっとやってると、孫にやってもらっているっていう感覚もなくなってきて、お手伝いしてくれる人みたいな感じで」
「ご飯作っても手でバンってはじかれたり、”ありがとう”とかも言わなくなる」
と振り返っています。
せっかく作った食事を手で払われ、感謝の言葉もなくなっていく日々。
10代の少年にとって、この日常がどれほど孤独で苦しかったか……想像するだけでも胸が痛くなります。
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学校と介護の両立──友達にも言えなかった孤独
当時の山崎さんは、学校に通いながら介護を続けていました。
AERA dot.のインタビュー(2020年)では、
「つらい時は親友が一緒に病院に行ってくれたり車を出してくれたりした」というエピソードも語られていて、一部の親友には打ち明けていたようですが、周囲に気軽に相談できる環境ではなかったことがうかがえます。
およそ高校生らしい「青春」の時間は持てなかったと、山崎さん自身も振り返っています。
「ヤングケアラー」という言葉すらなかった時代

山崎さんが介護をしていた2003〜2005年頃、
厚生労働省が初めてヤングケアラーの全国実態調査を行ったのは2020年度のこと。
その調査によると、
公立中学2年生の5.7%(約17人に1人)、
公立の全日制高校2年生の4.1%(約24人に1人)
が「世話をしている家族がいる」と回答しています。
つまり、1クラスに1〜2人はヤングケアラーがいる計算になります。
しかし当時は概念自体がなかったため、山崎さんのように「自分がヤングケアラーだ」と自覚できないまま孤立している子どもたちが多くいたのです。
山崎さん自身も毎日新聞で「僕もヤングケアラーだったと思います」と語っており、大人になってからその言葉に出会い、自分の経験と重ねたのだそうです。
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介護はどう終わった?レミゼ合格と「その後」

2007年レミゼラブルデビュー時の写真
壮絶な介護生活に区切りをつけたのは、山崎さんの夢であったミュージカルの世界への扉が開いた瞬間でした。
19歳でレ・ミゼラブルのオーディションに世界最年少合格
山崎さんは19歳のとき、ミュージカル「レ・ミゼラブル」のマリウス役のオーディションに合格しました。
演出家ジョン・ケアードさんに選ばれ、2007年の帝国劇場公演でデビュー。
当時、世界最年少でのマリウス役抜てきとして話題になりました。
介護生活中も、しんどいときは劇場に足を運んでミュージカルを観て、「いつかここに立つんだ!」と自分を奮い立たせていたそうです。
スポニチのインタビューでは「自分の中で夢があったので、ミュージカルに出るっていう。それが支えだった」と明かしています。
介護生活は、このレミゼ合格を機に約2年間で区切りがついたと語られています。
「この2年で精神がすごく強くなった」(AERA 2020年)
雑誌「AERA」2020年3月30日号のインタビューで、山崎さんは介護経験について「この2年で精神がすごく強くなった」と語っています。
さらに「僕は何にでもなりたいし、何にでもなれると思っています」とも。
TBS「人生最高レストラン」でも「いろんな経験を10代でできたのは大きいですね。だから逆に仕事に入って、しんどいことがなかった、乗り越えられた」と話していました。
壮絶な経験をマイナスではなく、自分の「強さ」として受け止めているところに、山崎育三郎さんの人間としての深さを感じますよね。
介護経験がミュージカル俳優・山崎育三郎を作った
17歳で人の生き死にと向き合い、孤独の中で祖父母を支え続けた2年間。
この経験が、現在の山崎育三郎さんの表現力や人間的な深みにつながっていることは間違いありません。
レ・ミゼラブルのマリウス役でのデビュー以降、「エリザベート」「モーツァルト!」など数々の大作ミュージカルで主演を務め、NHK連続テレビ小説「エール」などテレビドラマでも活躍。
ミュージカル界のプリンスと呼ばれるまでになった現在の山崎さんの原点には、あの壮絶な介護生活があったのです。
「おしゃれクリップ」という番組のMCをされていますが、ゲストの気持ちや背景に寄り添った優しい眼差しと、コメントなどいつも素敵だと思っていました。こういうところににじみ出るのかもしれませんね。
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【2026年】24時間テレビで再び介護と向き合う山崎育三郎
そんな山崎育三郎さんが2026年、再び「介護」「家族」というテーマと正面から向き合います。

チャリティーパートナーとして医療的ケア児の家族を取材
2026年8月29日(土)・30日(日)に放送される「24時間テレビ49 —愛は地球を救う—」で、山崎さんはチャリティーパートナーに就任しました。
今年のテーマは「わたしの家族の話〜あなたは誰を想う?〜」。
山崎さんは番組の中で、24時間の医療的ケアが必要な子どもとその家族のもとを訪問し、取材を行っています。
2026年6月22日の制作発表会見では、「家族をサポートする、支える、介護をするっていうことを、自分の目線から、自分の言葉で伝えていけたらいいなと思っております」と意気込みを述べていました。
双子ピアニスト「兄ーズ」と医ケア児の弟・弘一郎さん
山崎さんが取材したのは、双子のピアノデュオ「兄ーズ」として活動する山下順一朗さんと宗一郎さんです。
2人は国際音楽コンクールの連弾部門で優勝した実力を持ち、ニューヨークのカーネギーホールでも公演を行った注目の双子ピアニスト。
現在は医大生としてお医者さんを目指しながら、音楽活動も続けています。
2人には9歳下の弟・弘一郎さんがいます。
弘一郎さんは「大田原症候群」という難病の難治性てんかんと診断され、寝たきりで人工呼吸器を装着し、24時間体制の医療的ケアが必要な生活を送っています。
映画ナタリー(2026年6月)によると、山崎さんは順一朗さんと宗一郎さんから弘一郎さんの「生きている証し」がつまった分厚い手帳を見せてもらい、心を動かされたそうです。
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ヤングケアラーだった山崎だからこそ届けられるメッセージ
山崎さんは制作発表会見でこのようにコメントしています。
「自分自身、学生時代に介護が必要な祖父母との3人での生活を経験しました。当時は目の前のことに必死でしたが、今振り返ると、誰かの痛みに寄り添うこと、そして”命がある奇跡”をその時間の中で学ばせてもらったように思います」
10代でヤングケアラーだった山崎さんだからこそ、医療的ケア児の家族に寄り添える部分がある。
番組の総合司会は内村光良さん、羽鳥慎一さん、水卜麻美アナウンサーで、チャリティーパートナーにはSixTONESも名を連ねています。
山崎さんが国技館のステージで「兄ーズ」の2人とピアノ共演する場面も予定されているとのことで、見逃せませんね!
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まとめ
山崎育三郎さんが17歳から約2年間、たった1人で祖父母を在宅介護していたという事実は、知れば知るほど壮絶なものでした。
・母親が十数年間、義両親の介護を一人で担い続け、心身ともに限界を迎えていたこと
・留学中に両親が離婚し、家族5人がバラバラに離散したこと
・東京の自宅に残った17歳の山崎さんが「僕がやるしかない」と祖父母の介護を決断したこと
・祖母は脳梗塞で車いす生活、祖父は認知症で暴れることもあったこと
・「人生で一番しんどかった」と振り返るほど過酷な日々を、ミュージカルへの夢を支えに乗り越えたこと
・19歳でレ・ミゼラブルに世界最年少合格し、介護生活に区切りがついたこと
そして2026年の24時間テレビでは、チャリティーパートナーとして医療的ケア児の家族と向き合い、自らの介護経験を重ねながらメッセージを届けます。
「ヤングケアラー」という言葉すらなかった時代に孤独な介護を経験した山崎さんだからこそ、届けられる言葉がきっとあるはずです。
8月29日・30日の放送での山崎育三郎さんの様子も見逃せませんね。
※この記事は2026年6月時点で確認できた公式SNS・信頼できるニュースサイトの情報をもとに作成しています。情報の正確性については各公式ソースもあわせてご確認ください。
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