こんにちは、管理人のラッコです!
今年の第107回夏の高校野球選手権ですが、いよいよ準決勝を迎えます。
この夏の甲子園では、左手の指が先天性の病気のためない、県岐阜商の横山温大(はると)くん【背番号9】が3試合連続ヒットを放ちたり、ファインプレーをしたことで、技術の高さが話題になっています。
また準々決勝の対横浜戦では、初回2死二塁のピンチで、鋭い飛球をジャンピングキャッチし、球場から大きな拍手を浴びるなど、守備でも大活躍。
試合後は、SNSでの激励メッセージが、XやYouTube、Yahooニュースの口コミに書き込まれており、中には、普段高校野球をあまり見ない人の心にも大きく響いているようです。
この注目の高さの理由は、単に左手のことだけではなく、これまでの横山温人選手の努力を想像するからこそ、胸が熱くなっているのだと思いますが、
左手の指がない状態で、どのようにプレイしているの?
と素直に疑問に感じた人も多いのではないでしょうか。
実は、アメリカの元メジャーリーガーだった、ジム・アボットさんを参考にしたことが
横山温人(はると)さんへのNHKのインタビューで語られていました。
この記事では、
こちらを紹介していきます
横山温人選手の努力の一部も垣間見られます
さっそく見ていきましょう!
ジム・アボットとはどんな人?
ジム・アボットさんは、アメリカ出身の元プロ野球選手で 投手 をしていました
先天性 右手 欠損というハンディキャップを抱えながらプレーしたことで知られています
(生まれつき右手の手首より先がなかった)
2025年現在は57歳で既に現役は引退しており、講演活動が主だそうです
\その時の映像がコチラです/
手一本でのプレイ「グラブスイッチ」
別名「アボット・スイッチ」
投球時
右利き用のグラブを右手の手首の上に乗せ、左手での投球の直後にそのグラブを左手にはめ直し、打球を捕球した後は素早くボールごとグラブを右脇に抱えて外し、左手でボールを取り出して送球する
\その時の映像がコチラです/
このような選手が過去にいたとは、全く知りませんでした。
野球が好きな方は、横山温人(はると)くんのプレイをみてすぐ気づいたようですね。
SNSでも
まさか日本でジムアボットを見る日が来るとは!
など、他にもこの選手のすごさもご存じの方がいました。
横山温人選手の映像も是非ご覧ください
とても感動します。
活躍した時代は違うけれど、たくさん模索した結果、ジムアボットさんの手法に行きつき、それを自分流に習得し、こうして横山選手がは夢の舞台である甲子園で大活躍していることにとても感動しました。涙
ジムアボットさんの父が考案したものだった
ジムアボットさんは
「自分が障害者だとは思ったことはない。子供の時自分に野球を教えようとして庭に連れ出した父こそ勇気のある人間だ」
グラブスイッチは父親が考案したものたと語っています (Wikipediaより)
このあたりは、横山温人選手の両親も「野球ができないとは思わなかった」というような事をインタビューでおっしゃられていました。
このスタート地点での親の考え方の大切さに改めて気づかされます。
このスタート地点が無ければ、何もはじまらないのですから。
同じ親としてかなり心に響くものがあります。
県岐阜商の横山温人(はると)選手のプレイはどう変わった?
この記事はNHKの公式サイトを参照にしています
現在、横山温人(はると)選手は
バッティングも守備も
ほぼ右腕でだけで
おこなっています
しかし、最初から同じプレースタイルではありませんでした。
小学校3年生から野球を始めた横山選手は、
左手に義手を装着してその上からグローブをはめてプレイをしていました
しかし、小学5年生ころから、義手を外すことを決断
理由は
どうにかして野球を続けたいと思っていたとき
ジム・アボットさんのことをお父様を通じて知ったそうです
新しい方法が必要になる中で、大きなヒントになったのは腕に障害がある大リーグの選手でした
「親に教えてもらって、大リーグにそういう選手がいたんだなと驚きましたし、すごいと思いました。自分でもこういうことができるかなと希望が見えました」 引用:NHK
最後の「希望が見えました」という言葉は、お父様にとってもとても嬉しい事ではないでしょうか
野球を続けたい我が子のために、希望をみつけて来れたのですから・・・
手一本でのプレイ「グラブスイッチ」別名「アボット・スイッチ」習得まで
【捕球と送球は?】
右手につけたグラブで捕球したあと、瞬時にグラブを左脇に抱え、このあと右手でボールを握って投げる
捕ってからボールを握るまで1秒を基準に特訓し、
今のような素早い動きができるようになるまで、およそ1年かかったそうです
次に、バッティングの弱点を克服
【バッティングは?】
左打席に入って右手でバットを握る
両手でバットを振れず、打球もあまり強く打てない
そこで行ったのは、
右腕を徹底的に強化すること
重さ25キロのダンベルなどで鍛え上げた結果、右腕は左腕より1回りも大きくなりました
スイングスピードは去年の秋から1年足らずで10キロ以上UP!
本当に努力の賜物ですね。周りで支えるご家族もとても素敵です。

他のチームメイトと同じ練習をこなしながら、このような模索と努力をし続けた結果、
今回の甲子園でレギュラーに選ばれ、背番号【9】をもらうことができました。
さらには、甲子園に出る意義が他にもあります。
「甲子園は観客も多くて注目される大きな舞台で憧れ。ここで活躍して、自分と同じような境遇の子どもたちにもやればできるんだと教えてあげたいです」引用:NHK
今回の勇姿はどれほど、同じような立場の人々を勇気づけたでしょうか。
SNSのコメント欄には、障害を抱える子を持つ親からの〝勇気づけられた〟というものだけでなく
障害はなくとも、今人生に悩んでいる人も勇気づけられ、〝自分も環境や状況のせいにはできないな!〟と前向きになったというコメント。
さらに、夢を与える選手になりたいと言っていた横山選手を受けて
「将来の夢は、夢与える野球選手になりたいです。」もうなりました横山君。壁を乗り越える力を貰いましたありがとう。
というコメントも。
私も、今年の甲子園で県岐阜商の横山温人くんを知りましたが、ありふれた感想かも知れませんが、
何かに迷ったり壁にぶつかっているとき
(現在進行形ですが・・・)
「できない」と思わずに
〝できるはず!〟
〝やってやろう〟
〝あきらめないぞ〟
と続けてみようとおもいました!
横山温人選手ありがとう!準決勝での戦いも楽しみですね。
まとめ
今回は、県立岐阜商業の横山温人(はると)選手のプレイ方法に影響を与えたジム・アボットさんの紹介と、
どのような影響を横山選手に与えたかについて紹介しました
元メジャーリーガーのジムアボットさんはどんな人?
→生まれつき、右手の手首から先がないが、高校時代から投手として活躍
→ドラフト8位でメジャーリーガーに入団し活躍
→「アボット・スイッチ」といわれる「グラブスイッチ」で投球していた
どのようなことで横山温人(はると)さんに影響を与えたのか
→元々、左手に義手をつけ、うえからグラブをはめていたが、小学5年で使用を断念。
捕球の難度があがることや、中学高校で通用しない悩みを抱えていたが、
ジム・アボットさんの「グラブスイッチ」に出会い、
希望が見えてきた
そして試行錯誤して、自分にあった方法を見つけ、
捕球・送球・打球ともにクリアし技術を磨き続け、
見事、甲子園のレギュラーを手に入れました。
ご家族や周囲の支えと、ご本人の努力で得た甲子園レギュラーの切符でした。
参考になれば幸いです
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