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『ポツンと一軒家』で紹介された岡山県の多目的ダムは、おそらく苫田ダムです!

「28年前の多目的ダム」という情報から、1997年頃に大規模な移転があったダムを調べると、苫田ダムがぴったり当てはまるんですよね。
この記事では、
苫田ダムの場所やアクセス
28年前に何があったのか
そして水没した集落のことなど
詳しく調べてまとめました。気になる方は、ぜひ最後まで読んでみてくださいね!
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『ポツンと一軒家』岡山県のダムは苫田ダムの可能性が高い!
番組で紹介された「28年前の多目的ダム」という情報から、岡山県にある苫田ダムである可能性が高いです。条件を詳しく見ていきましょう。
番組で紹介された「28年前の多目的ダム」の特徴
『ポツンと一軒家』で紹介された情報によると、かつてはもっと麓に近い集落に実家があったそうですが、多目的ダムの建設に伴い28年前、両親がこの地に家を建て引っ越したとのこと。
28年前というと、2026年現在から計算すると1998年頃になります。この時期に岡山県で大規模な移転を伴うダム建設があったかどうかが、ポイントになりますよね。
また「多目的ダム」という点も重要です。
多目的ダムとは、洪水調節だけでなく、
水道用水や工業用水の供給、発電など、
複数の目的を持つダムのことを指します。

岡山県内でこの時期にこうした条件に当てはまるダムがあったのか、調べてみました。
条件に合致するのは苫田ダム
岡山県にある多目的ダムで、
1997年〜1998年頃に大規模な集落移転が行われたダムを調べると、苫田ダム(とまたダム)がぴったり当てはまります。
苫田ダムは、吉井川の上流に位置する多目的ダムで、1997年は集落の移転が本格化した時期にあたります。
ダムの建設計画は1957年に明らかになりましたが、実際に住民の移転が進んだのは1990年代半ばから後半にかけてでした。
そのため、番組で語られた「28年前に両親が引っ越した」という話と時期が一致するんですよね。
さらに、苫田ダムは治水・利水を目的とした多目的ダムであり、これも番組の情報と合致します。
私も広島出身なので、中国地方のダム建設については少し聞いたことがありますが、苫田ダムはその中でも特に住民の移転規模が大きかったダムとして知られています。
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苫田ダムってどこにある?場所とアクセス
苫田ダムの具体的な場所とアクセス方法をご紹介します。実際に訪れることもできるダムなので、興味のある方はぜひチェックしてみてくださいね。
岡山県鏡野町(旧奥津町)にある多目的ダム
苫田ダムは、岡山県苫田郡鏡野町久田下原に位置しています。
※鏡野町:かがみのちょう
もともとは旧奥津町にあたる地域で、2005年の市町村合併により現在は鏡野町の一部となっています。
ダムの管理所の住所は以下の通りです。
〒708-0433 岡山県苫田郡鏡野町久田下原1592-4 苫田ダム管理所
TEL:0868-52-2151
吉井川の上流部に位置し、周辺は豊かな自然に囲まれた山間部です。

車でのアクセスや周辺情報
苫田ダムへのアクセスは、車が便利です。
【車でのアクセス】
・中国自動車道「院庄IC」から国道179号を倉吉方面へ約20〜25分
公共交通機関でのアクセスはやや不便ですが、
JR津山線「津山駅」からバスやタクシーを利用することも可能です。
ただし、本数が少ないため、訪問の際は事前に時刻表を確認しておくと安心ですね。
ダムの内部を見学できる「ダムツアー」なども開催されていることがあるので、興味のある方は問い合わせてみるといいでしょう。
周辺には奥津温泉や道の駅「奥津温泉」などもあり、ドライブがてら立ち寄るのにもおすすめのスポットです。私も温泉が好きなので、いつか訪れてみたいなと思っています!
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28年前(1997年頃)に何があった?苫田ダムの歴史
1997年頃、苫田ダム建設に伴う住民の移転が本格的に進んでいました。ここでは、その歴史を振り返ってみましょう。
1997年は集落の移転が本格化した時期
苫田ダムの建設計画が明らかになったのは1957年です。しかし、実際に本体工事が始まったのは1999年と、構想から40年以上もの歳月がかかりました。
その間、1990年代半ばから後半にかけて、水没予定地域の住民たちの移転が本格化していきました。1997年は、まさにその移転が進んでいた時期にあたります。
町役場も1997年に移転しており、町全体が大きな変化の渦中にあった時期だったんですね。
『ポツンと一軒家』で紹介された方の両親も、この時期にダム建設を機に山奥へ移転されたのでしょう。水没を避けるため、より高い場所に新しい家を建てて移り住んだと考えられます。
長年の反対運動と住民の決断

反対運動の様子の展示
1957年に建設計画が明らかになると、住民たちは激しく反発しました。
旧奥津町議会は「苫田ダム絶対阻止」を町の方針(町是)に掲げ、まち全体でダム建設に反対する姿勢を示していたんです。
住民たちにとって、ふるさとが水没するということは、単に家を失うだけではありません。
先祖代々受け継いできた土地、田んぼや畑、地域のコミュニティ、思い出の詰まった景色…
すべてを失うことを意味していました。
しかし、国や県による説得と補償交渉が続けられ、1980年代から徐々に移転に同意する住民が増えていきました。そして2001年、最後の水没地権者が移転の契約に応じ、2003年には全ての地権者の移転が完了しました。
私自身、地域のつながりや故郷の大切さを感じることが多いので、住民の方々の苦渋の決断がどれほど重いものだったか、想像するだけで胸が痛みます。一人ひとりに、それぞれの人生とストーリーがあったんですよね。
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苫田ダムで消えた集落…504世帯が移転
苫田ダム建設によって、
旧奥津町の中心部が丸ごと水没することになりました。

その規模と影響について、詳しく見ていきましょう。
旧奥津町の中心部が丸ごと水没した
苫田ダムの建設によって水没したのは、504世帯にも及びます。
これは単なる数字ではなく、500を超える家族がそれぞれの人生を大きく変えざるを得なかったということです。

水没した地域には、旧奥津町の中心部も含まれていました。町役場、学校、商店、郵便局、お寺や神社…町の機能が集まっていた場所が、すべてダムの底に沈んでしまったんですね。
水没面積は約330ヘクタールにも及び、
東京ドーム約70個分もの広さです。
現在、ダムによってできた奥津湖の湖底には、かつての集落の跡が静かに眠っています。
水位が下がった時には、道路の跡や建物の基礎が姿を現すこともあるそうです。
そんな光景を想像すると、何とも言えない気持ちになりますよね。涙
初めて試しに水を流した時のニュース映像もとても悲しい気持ちになりました

住民たちが集落を離れた背景とエピソード
住民たちはなぜ、長年反対してきたダム建設を最終的に受け入れたのでしょうか。
一つには、国や県による補償金の提示がありました。しかし、多くの住民が語っているのは、「お金の問題ではなかった」ということです。
ある元住民の方は、報道で「人生を狂わされた」と語っています。また別の方は「故郷を失った悲しみは、何十年経っても癒えない」とも話していました。
それでも移転を決断した背景には、「これ以上抵抗しても建設は止められない」という諦めと、「下流域の人々の安全も大切」という思いがあったようです。
苫田ダムは洪水調節の役割も担っており、下流域の岡山市などの水害を防ぐ目的もあったからです。
一方で、移転した住民の中には、新しい土地で前向きに生活を始めた方々も多くいます。『ポツンと一軒家』で紹介された方の両親も、山奥に新しい家を建て、新たな暮らしを選択されたのでしょう。
人生には、自分の意思とは関係なく大きな決断を迫られる瞬間があります。その時にどう向き合うか、どう前を向くか…それぞれの選択に、敬意を払いたいと思います。
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苫田ダムはどんなダム?規模や役割
ここからは、苫田ダムそのものについて、具体的な規模や役割をご紹介します。
多目的ダムとしての機能

苫田ダムは、洪水調節、水道用水供給、工業用水供給、発電という複数の目的を持つ多目的ダムです。
まず洪水調節の面では、吉井川の洪水を防ぐ重要な役割を担っています。
大雨の際、ダム地点で毎秒2,700m³の流量のうち、約8割にあたる2,150m³をダムに貯めることができるんです。これにより、下流域の岡山市や備前市などの水害リスクを大幅に軽減しています。
次に水道用水では、岡山県南西部に1日あたり最大40万m³の水を供給しています。これは約100万人分の生活用水に相当する量です。私たちの日常生活を支える大切な水源となっているんですね。
さらに工業用水として1日最大8.2万m³、発電では最大出力1万4,300kWの水力発電を行っており、地域のエネルギー供給にも貢献しています。
こうして見ると、多くの住民の犠牲の上に建てられたダムが、現在は多くの人々の生活を支えているという、複雑な現実があるんですよね。
完成までの長い道のり
苫田ダムの規模は、以下の通りです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 形式 | 重力式コンクリートダム |
| 堤高(高さ) | 約74m |
| 堤頂長(長さ) | 約225m |
| 総貯水容量 | 8,410万m³ |
| 有効貯水容量 | 7,810万m³ |
| 集水面積 | 217.4km² |
| 完成年 | 平成17年(2005年)3月 |
総貯水容量8,410万m³は、岡山県内では新成羽川ダム、湯原ダムに次ぐ3番目の規模を誇ります。
そして、構想から完成までにかかった年月は、なんと約48年!1957年に計画が明らかになってから、2005年の完成まで、半世紀近くもの時間がかかったんです。
本体工事が始まったのは1999年で、工事自体は約6年で完了しました。つまり、大半の期間は住民との交渉や調整に費やされたということです。これほど長い年月をかけて、ようやく完成にこぎつけたダムなんですね。
苫田ダムの長い道のりは、そのことを象徴しているように思います。
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世間の反応やSNSの声
苫田ダムについて、SNSや報道ではどのような声が上がっているのでしょうか。
2024年には、苫田ダム完成から20年を機に、地元メディアが特集を組みました。その際、SNSでは以下のような反応が見られました。
「苫田ダムの歴史、初めて知った。こんなに多くの人が故郷を失ったなんて…」
「下流域に住む者として、苫田ダムには感謝しかない。でも、移転された方々のことを忘れてはいけないと思う」
「ダムツアーに参加したけど、説明を聞いて涙が出た。便利な生活の裏に、こういう犠牲があることを知るべき」
「今の若い世代は知らない人が多い。歴史を伝えていくことが大切」
また、『ポツンと一軒家』で岡山県のダムに関するエピソードが紹介されたことで、「あれは苫田ダムかな?」「ダムで沈んだ故郷の話、切ない」といった声も。
2024年には、
この展示では、反対運動に関する記録や写真、当時の資料などが展示され、多くの来場者が足を運んだそうです。
時間が経つにつれて、こうした歴史は忘れられがちです。でも、今を生きる私たちが、過去に何があったのかを知り、記憶にとどめることは、とても意味のあることだと思います。
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まとめ:岡山県のダムは苫田ダム!深い歴史を持つダム
『ポツンと一軒家』で紹介された岡山県の多目的ダムについて、この記事で分かったことをまとめます。
【要点まとめ】
・番組で紹介された「28年前の多目的ダム」は、苫田ダムの可能性が高い
・苫田ダムは岡山県鏡野町(旧奥津町)にある重力式コンクリートダム
・1997年頃に集落の移転が本格化し、504世帯が故郷を離れた
・約40年に及ぶ反対運動があり、住民の苦渋の決断の末に建設された
・2005年3月に完成し、洪水調節・水道用水供給など多目的に活用されている
・総貯水容量8,410万m³で岡山県内3番目の規模を誇る
・構想から完成まで約48年の長い歳月がかかった
苫田ダムの歴史は、単なるインフラ整備の物語ではありません。そこには、故郷を失った人々の悲しみ、新しい土地で再出発した勇気、そして下流域の人々の安全を守るという使命が、複雑に絡み合っています。
私たちが普段当たり前のように使っている水や、洪水から守られている安全な生活の裏には、こうした歴史と多くの人々の犠牲があることを、忘れてはいけないと思います。
苫田ダムについて新しい情報が入ったら、また追記していきますね。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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