こんにちは。管理人のラッコです。
今回は、あの有名なシンガーソングライターMISIAの
お母様についてまとめてみました。
理由は…驚いたからです。小児科医なのですが、
医師だから驚いたのではありません。
(もちろん、すごい!とは思いましたが)
「ワーキングマザー」という言葉もなかった頃、
時代に先駆けて仕事と育児を両立するため24時間体制の保育園と
病児保育を県に提案し設立した方だからです。
あの日本を代表する歌姫MISIAを育てたのはこのお母様
(もちろんお父様もですが)。
どんな方なのか、さっそく一緒に確認してみましょう。
まずは次女MISIAのプロフィールから
・本名:伊藤 美咲
(聞いたことある響き!?女優の伊東美咲さんは藤が東)
・生年月日:1978年7月7日(46歳)
・出身:長崎県対馬市 (➡音楽活動の為、14歳の時に福岡に移住)
(離島。ハウステンボスと韓国釜山の中間くらいに位置。
人口約2万8千人で、公式マスコット「とらっち」がかわいい)
・家族構成:父・母・兄・姉・MISIA
(次女として育ちました。父母兄は医師、姉は歯科医師。
お姉さんは「家にいる普通のお母さんになる」と小学生の頃
は言っていたそうです)
・身長:153㎝
・血液型:O型
・結婚:情報は得られませんでした
・名前MISIAの由来: “ASIAの方々にも音楽を届けたい”という想いから。
現在、その実力は日本国内だけでなくアジア強いては世界からも認められる。
・デビュー:1998年「つつみ込むように・・・」
・5オクターブの音域を誇る圧倒的な歌唱力
・1stアルバム『Mother Father Brother Sister』は
300万枚の新人としては異例のセールスを記録
(オリコン平成ランキングでヒットアルバムの
1位~5位には宇多田ヒカルやB’zやGRAYで
約700~440万枚とあるので新人でのこの記録のすごさが
わかります。
アルバム名が自身の家族構成と同じですね♪)
・社会貢献活動にも意欲的に取り組み、
「音楽とアート」の力で地球規模の課題解決に取り組む
一般財団法人mudefの理事も務める。
(この社会貢献という考え方はお母様の信念と共通する部分だと思います)
・2020年東京オリンピック開会式では国歌斉唱を担当
MISIAといえば、あの歌唱力と心に響く歌詞に、
デビュー当時から変わらぬヘアスタイルや
ファッション。一度画面越しに見ると忘れられませんよね。
何となく、ご家族も見た目(ファッションなど)が
インパクトのある個性的な感じかと想像してしていたので
お母様の佇まいにいい意味でギャップを感じました。
MISIAの母、伊藤瑞子(いとうみずこ)さん
伊藤瑞子さん【画像】
2022年にNHK福岡からインタビューを受けた
当時は77歳で、生まれは終戦の年1945年です。
長崎大学医学部を卒業の年に、同級生と結婚(夫は外科医)。
病理学の研究者を目指すが、
仕事と育児の両立をするために、臨床に進路変更し
研修医として再スタート。その後小児科医として
働き始める。
とても落ち着いた雰囲気で優しい眼差し。
毎日が激動の日々だったと思いますが、
とても穏やかな雰囲気の方ですね。
現在も長崎のクリニックで勤務されています。
仕事と育児を両立するため奮闘してきた
おおよそ、1970代初めに長男長女を出産し
育児と仕事に追われる日々。
女性に育児が任される時代。社会では男性優位の時代。
1978年のMISIA誕生からまたしばらく、
一番手のかかる子育て期だったと思います。
医師として働きながら。
子供が病気になると夫と自分どちらが仕事を休むかで
もめたこともあったそうです(たいていは母親が休むことに)。
3歳の長女に「病気になってごめんなさい」と泣かれ
一緒に泣いてしまったというエピソードがありました。
長崎県対馬で24時間の病児保育施設と保育園を実現
対馬にいた頃、勤務先の病院に24時間いつでも利用できる保育園と
病児保育施設を院内に設けて働きやすい環境を整えることを会議で提案
しました。
医療過疎地域の人材確保につながる画期的な提案として県の予算があて
られ、実現にこぎつけました。
粘り強さと信念で諦めない
・長崎大学医学部のころ教授に「国立大学に女子はいらない。
すぐに仕事を辞めるから、育成しても税金の無駄になる」と言われても。
・周りの女子が医師になっても結婚出産で辞める姿を見ても。
・夫の単身赴任により3人の子育てと医師の仕事で「ワンオペ育児」になっても。
・両立に悩み何度も辞めようかと思ったけれど諦めなかった。
・1996年9月、自宅兼小児科クリニック開業(あおばこどもクリニック
現在は あおばクリニックとして長男が院長を務める)
・育児は母親がするという固定観念を払拭すべく、2017年福岡女子大学を受験し
大学院生となり「育児の共有」(妻と夫)の必要性を学ぶ。
この時72歳ですのでまさにどこまでも駆け抜ける方だと尊敬の思いです。
1980年代初頭の仕事と女性!漫画:島耕作
今回、調べた事ですごいと感じるのは、注目すべき時代背景にもあります。
このころの女性は、四大より短大の方が就職しやすいし
結婚相手も見つけやすい時代でした。
そして当たり前のように、会社では女性が
「お茶くみ」係でした。
漫画:島耕作の中では、女性は朝早く出社して
掃除、お茶くみや灰皿の用意が当然の仕事として描かれています。
いまでは今では考えられませんよね。実際、そのような習慣の
会社がまだあるにしても、
それを堂々としてよい時代ではないですよね。
こういう時代背景の中でも、仕事と育児の両立に奮闘して
さらには未来を見据えて、働きやすい環境を整えるために
社会に対する責任として尽力されたのですね。
周囲の環境や制度に不満や違和感を覚えつつも
ブツブツ言いながらやり過ごしてしまう事も
多々あると思うのですが、伊藤瑞子さんの様な
行動力で困りごとをカタチにしてもらえたからこそ、
いまの環境があるという事ですね。ありがたいことです。
その他の事例 「鳥取大学医学部付属病院」
こちらでは、夜間の学童保育があります。
国立大学病院で初めてのことで、これも仕事と家庭の両立
が掲げられています。
珍しいですよね。夜間の学童保育、これで夜勤の間
子供を家に1人にしなくていいので安心ですね。
何がおこるか分かりませんから。
インターネットで調べてみると、
「夜間保育を探している」
「過去に自身が夜間保育で育った」
「医療関係者、官僚、飲食店、運送業などの多くの人が
夜間はたらいている」
など、ニーズが本当にあるのだと実感しました。
「夜間もやってる保育園」という映画がありましたね。
見た人の感想に、夜間保育で育った人の
「嘘偽りのない夜間保育の実態だ」というのがありました。
MISIAはどう過ごしていたか
対馬で24時間体制の医療現場で両親とも働いてるときは
MISIAも一人のことがあったようですが、
(兄姉は進学で島を出た後のため)
母が夜仕事に出やすいように、「眠ったふり」を
していたそうです。これ悪い意味ではなく、
お母さんが出かけた後、「好きな本を読んだりできたから
楽しかった」と大人になって当時を振り返っています。
聞き分けがいいというか自立したお子さんだったようですね。
伊藤瑞子さんは、日頃から仕事について「病期の子を助ける仕事」
であること等子供たちに話していました。
働く母の姿は、自然と子をそのように育てるのかもしれません。
そして大人になってからは、自分も「一生、歌い続けていきたい」とお母様に
話したそうです。
まとめ
今回は国民的歌姫MISIAのプロフィールから、
お母様、伊藤瑞子さんについてまとめてみました。
・24時間対応の保育園と病児保育の、長崎県の病院内への設立の提案者で実現
・医者という忙しい仕事と3人の育児の両立のためにもがき悩みなし遂げた
・これからはもっともっと「育児の共有」が必要だと訴え自ら72歳の年に大学院性として
勉強を重ねた
・子供達には自身の仕事について日頃から話し、社会に対する責任も全うした
・伊藤瑞子さんの家族はそれぞれ医師、歌手という道で社会に貢献しようとしている
・MISIAは夜間はたらく両親の元、一人で過ごす事があったが、
母が出勤する時は「眠ったふり」をしてその後、
起きて好きな本を読む楽しみを持っていた
・「一生歌い続けたい」と母に話していた
育児や働き方に対する考え方は千差万別ですが、伊藤瑞子さんの行動が
働くお父さん・お母さんの一助になったことは間違いありませんね。
年齢を重ねても、常問題意識をもち行動・駆け抜ける姿、心から素敵です。
今回は長めの内容となりましたが、最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
コメント